風俗嬢であることにうしろめたさを感じるなら
風俗嬢は、まだまだ社会的地位の低い仕事と見られています。
もちろん、昔に比べれば悪いイメージはずいぶんと軽くなりましたが、まだまだマイナスイメージが多い仕事です。
そのため、風俗嬢であることにうしろめたさを感じる人も多いことでしょう。
しかし、風俗嬢は社会に絶対に必要な仕事です。
社会的意義があり、風俗嬢なしでは社会のいろいろな部分で問題が起きるような仕事なのです。
本稿では、風俗嬢がどうして社会にとって必要なのかを解説していきます。
「私の仕事は風俗嬢です」といえる人は少ない
風俗嬢という仕事は、一昔前に比べると、その仕事に伴うマイナスイメージはかなり軽くなったといえるでしょう。
AV女優がアイドルのように活躍し、バラエティ番組やドラマで活躍する機会が増えたことで、カラダを売る仕事が社会的に受け入れられやすくなっているからです。
しかし、AV女優がかなり受け入れられるようになってきており、キラキラした世界に見えることが多い反面、同じようにカラダを売る風俗嬢はまだそれほど受け入れられているとは言えないでしょう。
「AV女優になりたい!」と前向きに考えてAV女優になり、「私の仕事はAV女優です!」といえる女性は多くなっています。
親公認のもとでAV女優をやっているAV女優も多くなりました。
これは、AVがエンターテイメントとしての側面を持っているからでしょう。
しかし、風俗嬢はちょっと違います。
「風俗嬢になりたい!」と前向きに考えて風俗嬢になる女性はあまりいませんし、「私の仕事は風俗嬢です!」といえる女性は多くはないでしょう。
ましてや、親公認で風俗嬢をやっている女性など、ほとんど聞いたことはありません。
これは、風俗はエンターテイメントとしての側面が薄く、もっと暗いイメージを伴うからだと思います。
そのことから、風俗嬢であること、あるいは風俗嬢として働こうと思っている人には、うしろめたさを感じている人が非常に多いと思います。
そのような悩みを持ち、悩み解消の糸口を探して当サイトにたどり着いた人もいるかもしれません。
普段は、当サイトでは風俗嬢の実際の姿や風俗嬢としての稼ぎ方などを解説していますが、本稿では風俗嬢という仕事の尊さに焦点を当てていきます。
沢庵さんの話
皆さんは、「たくあん」と聞いた時に、何を思い浮かべるでしょうか。
ほとんどの人は、大根の糠漬けを思い浮かべることでしょう。
なぜあのお漬物を「たくあん」というのかといえば、これを作った人が「沢庵(たくあん)」というお坊さんだったからです。
沢庵さんは、江戸時代初期に生きた禅僧(禅宗のお坊さん)で、沢庵禅師とも呼ばれます。
徳川家三代将軍家光の寵愛を受けたほか、徳川将軍家のご指南役を務めた柳生宗矩の盟友としても知られたほか、剣豪の宮本武蔵にもいろいろ教えた人として有名です。
沢庵さんが将軍家光にたくあん漬けを食べさせたところ、これが家光にいたく気に入られ、家光はたくあん漬けを兵隊の食料に採用し、たちまち全国に広まりました。
これが、現代に伝わる「たくあん」です。
さて、ある時、沢庵さんのお寺に一人の人が来て、沢庵さんにある掛け軸を見せました。
その掛け軸には花魁が描かれていました。
花魁とは、江戸時代に吉原などの色町で、男性客に対して性的サービスを提供していた女性のことで、今でいう風俗嬢のような存在です。
その人が、
と頼みました。
そのころ、沢庵さんはすでに有名なお坊さんでしたから、そこに何か書いてもらうことで記念としたかったのでしょう。
すると沢庵さんは、
いやぁ、よく描けているなぁ。わしもこんな美人をそばに置きたいものじゃ。
と言いながら筆をとり、以下のように書きました。
「賢の反相なり、淫慾熾盛のものの苦を助けんとて、女に化身し人の望みを叶へられたぞ、之を以て江口の謡に作れるか、稽古略と云ふ書物に見たと覚ゆ」
現代語訳をすると、
「江口の女は普賢菩薩(白い象に乗って、仏の右側にいてサポートしている菩薩)となって、白雲に乗って天に上ったといわれます。
普賢女というのは普賢菩薩の反面の姿で、性欲の盛んなものの苦しみを助けようとして、女に化け、人々の欲望をかなえてやったそうです。
これをもとに「江口」という歌を作られたということが、『釈氏稽古略』という本に書いてあったと思います」
というような意味です。
ここに出ている「江口」というのは、観阿弥(日本の「能」の文化を作った人)が作った歌のことです。
この歌の中では、悲惨な生活を送っているといわれる遊女(今の風俗嬢)も、その仕事に徹することによって、菩薩(人々を教え導く存在。
皆さんがよく知っているお地蔵さんは「地蔵菩薩」)になることができるとうたわれています。
観阿弥が活躍した室町時代は、まだ人権なんてものはありませんでした。
なにしろ、戦争に次ぐ戦争でたくさんの人が死んだ時代ですから、当時の遊女の生活というものは、今の風俗嬢とは比べ物にならないくらい大変なものだったでしょう。
それを哀れんだ観阿弥が、遊女たちの迷いや悟りの姿を歌にしたのです。
歌の中では、遊女たちはその仕事に徹することで普賢菩薩になるといわれています。
もともと、菩薩というのは人々と一緒に歩み、救い、教え導く存在とされています。
その昔、普賢菩薩という菩薩さんは女に化けて、人々を性欲の悩みから救ったといわれています。
これは男にしかわからないことかもしれませんが、性欲の強い男性というのはとてもつらいものです。
彼女や奥さんがいたり、一人で処理をして何とかできればいいのですが、どうしても女性としたいと思い、その思い余ってレイプなどの事件を起こしてしまうこともあります。
そんな性欲の強い男性を、普賢菩薩が女に化けて救ったという伝説があるのです。
沢庵さんは、この話を短い言葉で、花魁が描かれた掛け軸に書いたのでした。
沢庵さんほどの哀れみ深い人であればこそ、花魁に同情する言葉を書いたのです。
当時の花魁といえば、上記の遊女の通り非常に苦しい境遇にいました。
年貢が支払えず、貧乏した農民の娘が売られて花魁になることもありましたし、人身売買のようなことも頻繁に行われていたことでしょう。
望まずしてカラダを売らなければならなくなった女性が非常に多かったのです。
その花魁に深い同情を示しつつ、さらにその姿を普賢菩薩に重ね合わせて、尊んだのです。
現代における風俗嬢の意義
当時は、花魁の社会的意義というようなものはそれほど考えられていなかったことでしょう。
しかし、現代の花魁ともいえる風俗嬢には、確実に社会的意義があります。
もし、風俗という業界が存在せず、風俗嬢という仕事もなかったならば、どんな世の中になるでしょうか。
そんな世の中でも、男性の性欲はあいかわらずあるわけですから、いろいろな問題が起こってくるでしょう。
例えば、
- 性のはけ口がなくなった男性が、女性をレイプする事件が多発する。
- 風俗嬢という職業がなくなれば、女性が性を売りたいと思えば個人売春をするほかなくなる。
- 男性としても、風俗嬢という職業の女性とプレイできなくなれば、裏で女性を買うほかなくなり、売春が横行する。
- 個人売春が横行した結果、お金に困った女性の稼ぐ手段が売春とイコールになり、未成年などの売春も増加する。
- 個人売春は、風俗店が管理して性的サービスが行われるわけではないため、女性が望まないプレイを強要されたり、レイプその他の傷害事件などに発展するケースが増える。
- 風俗店が管理せずに性的サービスが行われることで、性を売買する男女の間で性病が蔓延する。
- 個人売春をする女性を組織的かつ非合法に束ねる組織(現代における「援デリ業者」の巨大版のようなもの)が出現し、女性が搾取されたり、その資金が暴力団などに流れることになる。
などなど、数え上げれば非常に多くの問題が起きることがわかります。
現代の日本でこのようなことが起きていない、あるいは起きていたとしてもまだ小規模といえる範囲にとどまっているのは、とりもなおさず風俗業界と風俗嬢が存在しているおかげなのです。
少し挙げただけでも、風俗嬢がいるおかげで男性が性犯罪に奔ることが少なくなり、個人売春が行われにくくなって社会の風紀が乱れず、性病の蔓延は防がれ、性的サービスがあくまでもルールの範囲内で行われ、関係は皆無とは言わないまでも非合法組織の暗躍を抑制するのにも役立っています。
風俗嬢という仕事には、このような様々な社会的意義があるのです。
風俗嬢がいるからこそ風俗業界が成り立ち、お金が必要でカラダを売りたいと考える女性が比較的安全に働く場所も保たれているのです。
まとめ
風俗嬢は、まだまだ社会的に受け入れられないところも多い部分です。
しかし、本稿でも解説した通り、風俗嬢という仕事が社会的に非常に役立っていることは疑いのない事実です。
すでに風俗嬢として働いている女性が、胸を張って「私は風俗嬢です」といえる時代はまだ来ないかもしれません。
これから風俗嬢として働きたいと思っている女性が、何の不安もなく「風俗嬢になろうと思ってるんだけど」と誰かに相談できる時代も、まだ来ないかもしれません。
しかし、それでも風俗嬢という仕事には確かに社会的意義があります。
それがあまり受け入れられていないからと言って、うしろめたさを感じる必要はないのです。